美しい体への憧れ 西洋と日本から見る補正下着の歴史

コルセット

いつの時代も、女性は美しくありたいとそう願うものです。

髪型、化粧、服装…

体型も、その一つでしょう。

ボディラインを整え、上に着る衣類のシルエットを美しくするために着用する下着を、『ファウンデーション』といいます。

補正下着、と言ってもよいかもしれません。

その歴史は古く、古代ギリシャの時代にすら遡れます。古代ギリシャではウエストを細く絞った服装の男女の絵画がみられるほか、垂れていない、締まった乳房が若さの象徴と捉えられていたために、女性は胸に布を硬く巻きつけ、体型を整えていたそうです。

西洋の補正下着

そんなファウンデーション、補正下着で一番有名かつ歴史あるものは、やはりコルセットでしょう。

補正下着は女性のものではなかった!?コルセットをつける男性たち

コルセットを身に着ける男性

コルセットは14世紀後半にはヨーロッパ貴族の間で、身体のラインを整えるための補正下着として男女問わず着用されていました。まだその頃はヤギの皮など柔らかい素材が中心でした。

また、以後の時代の中でも、コルセットは男性用の補正下着として姿勢を整えるために軍隊などで使われていたそうです。

マリーアントワネットの時代 締め付けの増すコルセット

マリー・アントワネット

16世紀ごろになると、女性の服装がたっぷりとしたドレスへと変化していきます。そのため、たっぷりとした下半身に栄えるほっそりとした上半身がもてはやされるようになり、コルセットが補正下着として恒常的に着用されるようになりました。コルセットが女性の下着というイメージはこのころの風俗に起因します。

より強く締め付けるために、素材は鯨の骨や鉄のワイヤーなど硬い素材が使われていくようになりました。

また、胸を押し上げ豊かに見せるなど、現在のブラジャーのような役目も果たしていました。

細ければ細いほどモテた!?コルセット全盛期

 

コルセットを身に着ける女性

18~19世紀になると、上流階級の女性だけでなく、ブルジョア階級、労働者階級の女性にもコルセットが普及してきます。当時、細いウエストが貞淑な女性の象徴とされていました。つまり、ウエストが細ければ細いほど、女性にとって結婚するにあたり有利だったのです。

当時の絵画の中には、貴婦人のコルセットをきつく締めあげるメイドと男性の絵が描かれたものもあります。

当時の理想のウエストサイズはなんと45cmであったと言われています。

身体をコルセットできつく締めあげることがもちろん健康に良いわけがなく、肋骨の変形や、内臓の圧迫による慢性的な便秘、不妊・流産などの健康被害も多々ありました。また呼吸も満足にできず、血流も悪くなるため常に貧血状態であったと言われます。当時の女性たちがよく気絶していたり、病弱であったりしたのは遠からずコルセットにも原因があったようです。

当時の医師もコルセットの危険性を指摘してたのですが、それでも女性たちは婚期を逃すまいとコルセットでウエストを細くするのをやめることはなく、むしろか弱い自分を演出するためのチャンスととらえ、あえて意中の人の前で気絶する、などのこともあったそうです。

廃れるコルセット そして新しい補正下着の誕生

コルセット

その後、女性の下着としてのコルセットは流行の波の中で、流行と衰退を繰り返していきました。

ゴムやプラスチック、ナイロンなどの素材が登場すると、不要に締め付けないようなコルセットなど、種類も多様化していきます。補正下着として、姿勢を正すためなど実用的なコルセットは20世紀半ばごろまで使用され続けました。

しかし、ブラジャー、ガードルといった新たな補正下着が生まれたことや、女性の社会進出が進みドレスではなくスカートが女性の普段着となっていたこと、着用するのが手間などの理由でコルセットは補正下着としては廃れていきますが、伝統衣装としてのコルセット、ファッションとしてのコルセットは現代にも息づいています。

日本の補正下着

舞台は変わり、日本での補正下着の歴史はどうでしょうか。

”はいて”なかった!?日本人の下着事情

日本の女性

日本の伝統衣装といえば着物、和服です。まだ和服を着ていた時代は体型を整えるために補正下着をつける、という概念はありませんでした。

江戸時代では、下着として男性はふんどしを付けていましたが、女性は着物の下に「腰巻」といったスカートに近いものを着用してました。

このような巻くタイプの下着は世界でも珍しく、日本を除くとインドネシアのような南国の島々で用いられていたようです。

陰部を覆わないタイプの下着が、日本の高温多湿な気候にあっていたのでしょう。

歴史的にみても、平安時代の貴族の女性など、袴をはく場合を除き、日本の女性には、パンツのように陰部を覆うような下着自体もなかったようです。

明治時代になり、洋装が日本に入ってくるに従い、洋装下着も日本へと入ってきました。

鹿鳴館での舞踏会に参加した上流階級や貴族の婦人たちがドレスを着るために補正下着、コルセットを身に着けていたようです。

また一般の洋装下着も、ズロースと呼ばれるひざ上丈ほどの履く下着があったようですが、かねてより陰部を覆う文化のなかった当時の大衆の間ではかなり抵抗があったようです。補正下着どころか、一般の洋装下着ですら、まだまだ和装が中心の女性の間では明治、大正の時代ではめずらしかったようです。

戦争が下着を普及させた!?戦前、戦後の下着・補正下着事情

これがズロースになります。

昭和の時代になると、次第に洋装が普及し始め、一般の女性たちもズロースやパンツをはくようになります。

そして第二次世界大戦中が勃発し、女性たちはモンペの着用が推奨されます。そのため、女性たちはモンペの下に、ズロース、パンツなどの穿く下着を穿くようになります。

戦後、再び西洋の文化が入ってくると同時に、次第に人々の服装は洋装に代わっていきます。

終戦の4年後には、老舗下着メーカーの「ワコール(当時は和江商事)」がバストを大きく見せるための「ブラパット」を発売するなど、身体を美しくみせるための商品が、だんだんと国内でも発売され始めました。これが日本での補正下着が普及していくはしりになります。

「下着ショウ」といった下着版ファッションショー、雑誌広告などのメーカーの努力により、今まで履く下着を身に着ける習慣のなかった一般女性にも下着が浸透します。

それと同時にガードル、コルセットといった補正下着も一般の人々に普及していきます。

その頃の最先端のファッションの出どころといえば、西洋、特にアメリカでした。マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン…そんなハリウッドスターたちの活躍していた時代です。豊かなバスト、締まったウエスト……そうしたコンプレックスを埋め、洋装をより美しく着こなすために女性たちはブラジャーやコルセットなどの補正下着を身に着けていくようになったのです。

実は深い関係があった!?バブルと補正下着

バブル

さらに時代は下り、女性たちが思い思いのファッションを楽しめるようになると、補正下着は以前ほど使われなくはなりますが、バブル期になると、ボディラインがあらわになるワンレン・ボディコンファッションブームが起こります。美しいボディラインを作るためにガードルのような補正下着を愛用する女性が再び増えはじめます。

補正下着はファッションの強い味方!

美脚

現在でもスキニーパンツなどボディラインがはっきりと出るファッションは健在です。しかし、昔のような服に体を合わせるファッションというより、服を自分に合わせるファッションが主流になっています。身体を締め付けるような補正下着は必ずしも必要なものではなく、補正下着を着ない自由もあるのです。

ですが、いつだって女性は美しくありたいものです。顔・髪型・化粧・ファッション・そして体型。様々なファッションを楽しむことができる現代だからこそ自分の体型を自信をもってオシャレができない、自分の好きなファッションができないことの言い訳にはしたくないものです。

そんな時、補正下着はあなたの強い味方です。

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